悪というのは人間が生まれながらにして背負う業みたいなもの。
悪とは一般的にはこの世のルールを乱すものだが、ロマンとはルールにとらわれない事、希望、生命力、突破点、新しいもの、幸せになりたいという欲望。
だから犯罪は無くならない。
景気が良いうちは何も感じないが、景気が悪くなると、失業者が増え、社会から落伍する人が増え、犯罪や自殺が増加する。
社会に絶望したり、自分の闇に飲まれて精神が壊れたりして。
悪の反対は正義ではない。悪の反対は善。
しかし善は偽りのもの。
偽りだから偽善という言葉がある。
では正義の反対とはなにか?
正義の反対は別の正義。または慈悲、寛容。
正義は本質的に妥協を禁じるからである。
戦争が泥沼化するのは戦争をやっている側がこれは正義だと信じ込むからである。
私は法令違反は許さないが、悪というものは人の業だからこそ人が一生をかけて立ち向かわなければならないものであるとも思う。
だからこそ法令遵守を心がけ、法律が間違っているなら声を上げるべきである。
国家の下に人がいるからこそ、国会議員や官僚には高い倫理観、正義感、使命感が必要である。
それすら忘れた国会議員や官僚は、人間のクズ。
私は長生きに執着は無い。
自然の摂理に反してまで生きることに執着するのは本当の悪人である。
だからこそ言う。
人間が働かなくても生きていける世界を作れるなら悪人になってもいい。
富裕層なんざみんな悪人。
殺されるだけの業を背負っているから。
だからキリスト教圏では富裕層はみな社会貢献活動をしている。
人を踏み台にしてのし上がったせめてものの罪滅ぼしとして。
日本は経営者や富裕層の大半が利己主義の人間だから、貧富の差がどんどん拡大して犯罪が増える。
だから日本では富裕層は地獄に落ちると言われるし、実際地獄に落ちるだけの所業を繰り返している人間も沢山いる。
いい経営者は死んだやつだけだ。
今の日本を見ろ。
いいビジョンが見えないじゃないか。
戦争ってのはある種のリセットなんだよ。
それに反抗するのは本質を知らない人間か偽善者ですよ。
宗教で人は救えない。物質的にはね。
精神は救えるかもしれないが、宗教で人が救えるならなぜイスラム圏では戦争になっているのかよく考えてみろ。
だから宗教は偽善と言われるわけ。
今日はこのくらいにしたるわ(めだか師匠風)