④⑥⑧(ヨーロッパ)でも①①①(ピンピンピン)

こんなブログにマジになっちゃってどうするの(他人事)

3/5雑記

池袋のリブロが6月で閉店になるって話。

(6/2追記:閉店日は7月20日となりました)

俺も昔行ってたから、無くなるとなるとちょっと悲しい。
池袋らへんは本屋が揃ってて、リブロのほか、はす向かいのジュンク堂東武の旭屋、オタク向けなら乙女ロード近隣、ちょっと足を伸ばせばサンシャインの本屋などいろいろあった。
池袋駅西武南口から歩いてすぐの立地は良かったけど、品揃えが悪くなったからね。
昔は結構漫画本の品揃えが良かったけど、今はただフロアがデカいだけで、メリットは西武線に近いだけっていうのがね。

おまけ
西武って、三菱とつながりがあったんだよ。
三菱セメント(当時)が武甲山石灰石採掘権を経て、横瀬に工場を作ろうとしたころ、一つだけ大きな問題があった。
それは、大量のセメントを運ぶ手段が無い。
正確にはあったんだが、それをやるのはライバル会社に味方することになる。
当時、秩父には秩父鉄道しかなく、そこの大株主は秩父セメント(当時)で、三菱セメントのライバル会社だった。
秩父鉄道でのセメント輸送はできないってのが、会社の意見だった。
そこで白羽の矢が立ったのは西武鉄道だった。
当時、吾野までしか無かった路線を横瀬を経由して西武秩父まで延伸することになった。
もちろん、三菱はただ西武に頼むだけではない。
路線建設資金の援助、電気機関車の製造、裏では武州鉄道不正の調査などもあったとも言われている。
そんなこんなもあって、1969年6月、横瀬工場操業開始。同年10月14日には西武秩父線営業運転開始。同日からセメント輸送が正式に開始された。
このまま西武と三菱の関係がうまくいくと思われた。
しかし、1人の男が全てをぶち壊しにした。
江川卓※1である。
当時、江川卓の交渉権を保有していたのはクラウンライターライオンズで、1978年10月には西武に売却(もっとも、西武が実際に手をつけ始めたのは5月ごろだが)が決まり、江川卓の交渉権も西武ライオンズに移っていた。
当然、アメリカ在住中の江川卓のもとに宮内巌球団社長ら西武球団の関係者数名が入団交渉に行ったが、門前払いされてしまった。
しかもよりによって提携先の三菱グループ三菱商事の現地駐在員が江川卓の後見人であった。
すかさず西武は三菱商事に掛け合うも、「個人のプライベートには干渉できない」という対応だった。
これに激怒した堤義明は報復として、西武バスなどの西武グループのバス各社のバスを全て三菱自動車(当時)製から、西武ライオンズのスポンサー募集に飛びついた日産自動車の系列である、日産ディーゼル(当時)製に切り替えてしまった。
もちろん、タクシー・ハイヤーも同様の措置をしたのは言うまでも無い。
そして、三菱とは冷めた関係になったものの、貨物輸送は続いていた。
しかしその後セメント輸送が減少し、1996年に廃止されてしまった。

作新学院→法政大学→阪神→巨人
かっとばせキヨハラくんの中では耳がデカいなどと言われたりした人。
巨人とはたくさんの密約で繋がってるなどと言われてる野球解説者。
プロ野球?殺人事件!(ハドソンのゲーム)の主人公のモデル。